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読書をするとぼんやりとした感覚を言語化することができる

 


生活しているとたくさんの事を経験します。


その経験が言葉として言語化されている場合もあれば、そうでない場合もあります。


たとえば、会社に遅刻したときに下手な言い訳をしてしまい、気まずい経験をしたことで、下手な言い訳をすると気まずくなるから、むしろ正直に言ってしまおうと考えたとします。


この場合は、しっかりと自分の経験が言語化されて、意識の上にのぼっているわけですね。


ところが、このように自分の経験や思ったことがしっかりと言語化されていないことも多くあります。


いわゆる、「なんとなく思っている」状態です。「ぼんやりとしたイメージ」と言ってもいいかもしれません。


このようなイメージは、ずいぶん時間が経ってから言語化される場合があります。他人がしっかりと言葉として話しているのを聞いて、「そういうことってあるよね。」と思って意識することもあります。


上記の遅刻の場合では、言い訳をして気まずい思いをしてしまっても、「なんか、気まずかったな。」という感覚だけで終わってしまい、「正直に言おう」という意識にまで言語化されていない場合を指します。この場合には、下手な言い訳をすることが今後も続く可能性が考えられますよね。


なんとなくのイメージとしてしか認識されていない経験や知識は、本当の意味で身についていないのではないかと思います。


読書は、このようななんとなくのイメージをしっかりと言語化してくれる効果があると思っています。


なぜなら、小説にせよ、ノンフィクションにせよ、中に登場する人物の心情や考えたことがしっかりと言葉として書かれていて、それを読むことてしっかりと意識することができるからです。


もちろん、それを読んで気がつくことが大事なのですが、様々な状況や心情、考えなどが言語化されているので、「いいな」「これは大事だな」と思ったことは、書かれている言葉を受けとればいいのだと思います。


まずは、書かれている言葉を丸ごと受け入れます。受け売りと思うかもしれませんが、誰かに見せるわけでもなく、自分のために読んでいるのですから、そのまま受け取っても問題ないでしょう。


だんだん時間が経過して、自分の言葉で語れるようになれば、本当の意味で自分の血となり肉となっているのではないかと思います。